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美しい母、になりたい。

かわいいでしょ
(美しいたま)


昨日は、マドレボニータのバランスボールのエクササイズに参加した。
産後初の本格的な運動!
思っていたほどからだは動かず、よたよた~~、なわたくし。
一時期鍛えたはずの腹筋もキッツ~。
しかし本日朝、裸身を鏡にうつしたら、腹に筋肉戻ってました! 素晴らしい。
一日ちょっとずつでも続けた方がいいな、と、改めて確信した次第。

さて、マドレボニータとはいったい? 
「すべての母となった女性に産後のヘルスケアを」と謳い、産後女性のの心と体の健康のためのプログラムを開発・普及するNPO法人だ。
日本は、ニンプや赤ちゃんへのケアはそれなりだが、産んですぐの女性へのケアは意外なほどになおざりにされている。
そもそも、出産がゴールかのように錯覚しがちなニンプ生活を送っていると、産後の現実にとまどいがちだ。
産後すぐ、生まれたての赤ちゃんをケアする一方で、たまっていく洗濯物、洗い物、埃、チリ……。
そもそも産後は、全身を使った大仕事の直後で、体をリニューアルしなければならない大切な時期なのに、そのケアは驚くほど何もなされていないのだ。

マドレボニータはそこに目をつけ、産後女性のためのプログラムを開発した。
マドレではバランスボールを使い、結構激しいエクササイズをする。
まさに体育会系! と思われがちだが、決してそれだけではない。
産後の女性が「誰誰ちゃんのママ」だけではなく、一人の自立した女性として、どのように人生を構築していくか、心のサポートにも力を入れている。
また、わたしがマドレに共感している理由の一つに、「NPO法人」として活動をしていることがある。
NPO法人の役割とは社会に公益的な活動を提案し、それを請け負って動かしていくことにあるが、マドレは「日本の産後ケアを変えたい」との理念を強く打ち出し、自ら産み出した活動の有益性を積極的にアピールし、提言し、そして多くの主体の参加を募っている。心の底から応援したい(そういうワタクシ、まずはNPOの会員にならなきゃね)。
雰囲気も好き。代表の吉岡マコさんを中心に、きっちりと意志疎通をはかり、統制されたインストラクターたち。プロ意識が高い。強固なチームワーク。暑苦しいまでの熱意と努力。「女子的体育会系」そのもの。基本的にこういう団体って大好きだ。
マドレボニータについて詳しくはホームページを

マドレボニータとは、スペイン語で「美しい母」という意味だ。
この大それたキャッチに最初はびっくり。しかしその意味を反芻するにつけ、ますます共感してしまった。
「美しい母=外見ではなく、自立した大人の女性の美しさ」
生きること、育てることは、きれいごとだけでは済まされない。
清濁併せ呑み、時には委ね、流れに身を任せ、ある時は踏ん張り、感謝の気持ちで生きる。
ブランドものに身を包み、表面はきれいに着飾っているけれども、赤ちゃんの要求を無視してお買い物に興じるような「キレイなママ」ではなく、自分の価値観や美意識をしっかり持ち、自分の足で立ち、赤ちゃんときちんと向き合うことのできる「美しい母」。
わたしは「キレイなママ」にはなれないけれど、「美しい母」にはなれるんじゃないかな、と思って、その門戸を叩いたのは妊娠4カ月、安定期に入ってすぐのこと。

マドレボニータに出会えたことは、助産院バースハーモニーでお産をしたことと同じくらい、「自分リニューアル」に大きな影響を与えた。
今回から何回かにわけて、マドレから教わったこと、得たことを書いてみる。

大航海時代の始まり

地図を描く
(生後150日。動き回りながら、涎で世界地図を描く)

たまさん、GW頃から寝返りの自主練に励んでいたが、先週、ようやく完成をみた。
寝返りだけでは飽き足らず、匍匐前進まで。。。
ちょっと待ってよ、もうちょっとゆっくりでいいから!
……と、母は心の中で叫びながらも、彼女の運動能力をいかんなく伸ばしてやりたい気もあり、ちょっと目先までおもちゃを置いて前進させたりして楽しんでいる。

彼女は保育園から帰宅後、父母のダブルベッドをホームグラウンドにして遊んでいた。140×200cmもスペースがあれば十分だろ、と思っていたが、すでに危険地帯になってしまった。
「地球は丸い」ことを知らなかった時代の世界地図のような、父母のダブルベッド。世界の端から落っこちてしまったらアウト。
おむつをバケツに置きに行って戻ると、世界の端まで動いている。これまたGWごろから増えてきた涎の跡が、彼女の移動の軌跡を物語っている。
ベッドの上は、彼女にとって大海原だった。広い広い世界。だって、ただ上を向いていただけだったから。
ところが今や、彼女にとっての世界は、両手両足を一生懸命動かせば、掌握できるほどの大きさになってしまった。
子どもの成長とは、それだけ革命的なものなのだ。

時折、父ちゃんと母ちゃんが顔をのぞきに来て、笑顔を向ければ喜んでもらえた。
首が据わって自由に動けるようになり、頭を動かす度に髪の毛が抜けた。頭の後ろはハゲハゲだ。
少しずつ、からだを動かしたくなってきた。 足を上げて下ろす勢いで、からだをねじってみた。
一生懸命手を伸ばすと、布のラトルをつかめるようになってきた。
気がついたら、からだを半分ひねっていた。
時々母ちゃんがうつぶせにした。頭を持ち上げたら、天井だけじゃなくて、窓から空を見ることができるようになった。
お風呂上がりにマッサージをしようとすると、裸の開放感が気持ちよくてコロコロ転がってみた。

もっともっと、いろんなものが見たい。遊びたい。
そうこうしているうちに、たまは寝返りをして、どんどん行動範囲を広げていったのだ。
ハイハイをする日も、そう遠くはないのだろう。
気がついたらつかまり立ちをして、一人で立って、歩くようになるのだろう。
生まれたころは、そんな日が来るなんて思ってもみなかったが、たまは、わたしの予想を超えるスピードで日々、成長している。
子どもが生まれたら日常のシーンがあっという間に切り替わる、とは聞いていたけれども、これほどまでとは。

大海
(生後16日、世界はこんなに大きかった)

ようやく今の生活ペースに慣れたと思ったら、新しいことができるようになったり、新たな発達段階に突入して、母は毎日飽きることがありません。
ああ、楽しいなあー。

産後編まとめ

父の手
(母ちゃんが産後生活の間、あたちの命を支えてくれたのは、この父ちゃんの手。)

さて、産後わたしのからだに起こったことについて長々と書き散らしたが、ひとまずここで一段落とする。
わたしの産後生活は、おむつ、入浴しないなど、読んでみるとギョッとする、あるいは興味を喚起するような、ある種の特殊解と言えよう。
ただ、一つ言えるのは、産後、わたしのからだに起こったことは、決して特別なケースではない。後陣痛、骨盤の収縮、悪露、抜け毛などは、産後の女性は誰もが経験することだ。
それに対してどのような手当て、ケアをするか、その違いだけだと思う。

野口整体の骨盤直しなどは、助産師であっても99%は知らないと思う。
それを熟知して実践を促す助産院に出会えたことは、わたしにとってはラッキーだったが、万人が受け入れられることではないだろう。
例えば、いわゆるクリニックや病院で出産すれば、産後すぐに立って病室や授乳室、食堂に歩いて移動するだろうし、里帰りでもしない限りは退院後には家事育児を自分でしなければならない。
上に兄や姉がいれば、その世話もしなければならない。
心身に不調を来した場合は、医学的な「処置」で乗り切ることもあるだろう。

必要なのは、「今」だけを見るのではなく、更年期を含めた今後の長い人生に対して、産後のからだを整えることがどれだけ重要なのかを認識することだ。
わたしがやったことは、おそらく「ここまでやれば完璧」というほどのフルコースだったが、そこまでできないにしろ、産後のからだの特殊性を鑑み、産褥婦を労る、休める環境を整えなければならないのは自明。
残念ながら、それを教えてくれるところは、病院、助産院を含め、それほど多くはない。

結局のところ、産む人自身が妊娠中から勉強し、産後の生活、2カ月をどのように乗り切るか、自分でプランを立て、手配をしなければならないのが現実だ。

そこでポイントとなるのが、
「委ねる」
これができるかどうかだ。
夫、両親、兄弟姉妹、義父母などの家族、それだけでまわらない場合は、友人、そして、お金を出しても産後ヘルパーを頼み、自分にしかできないこと、つまり授乳以外をいかに外注して、回復に専念する環境をつくること。
わたしの場合は「自分のおむつ交換」というインパクト大な作業を夫、実母、義母に委ねることになった。
ささやかな自尊心、プライドを、捨てないまでもちょっと別のところに置くことができたおかげで、でか尻という思春期以来のコンプレックスを総決算できたのだ。
むしろ、小さなことにこだわり、からだの回復を等閑にすることは、人生における重大な機会損失になっただろう。
「おむつ」という最大の関門を乗り越えれば、その他のことをお願いするのはそれほど難しくなかった。
厚かましいかな、とは思っても、洗い物、掃除、洗濯、洗濯物畳みを頼み、スーパー主婦である義母からは家事の段取り力と合理化を、実母からは食材を展開し、使い切る知恵を学んだ。
「委ねる」ことができることで、得たことは大きい。
何より、自分自身の肩の力が抜けた。


ただ、委ねるにあたっては、準備しておくほうがよいこと、たくさんある。
例えば、我が家の場合は、掃除機や洗濯機の使い方を誰もがわかるようにしておくこと。説明書を置いておく。どのような手順で掃除をするか。例えば掃除機をかけてからクイックルワイパーをかけるのか、とか。
調味料や調理道具のありか。わたしは化学調味料、砂糖は使わない。醤油、塩、油と、少々のスパイスのみ。それを理解してもらうには、基本的な味付けのポイントを伝えなければならない。
ゴミの出し方。何曜日が燃えるゴミなのか、資源回収の分け方など。
これらのポイントは、なるべく紙に書き出して、誰にでもわかるように明文化、図解したほうがよい。
いちいち説明する手間が省ける。

繰り返すようだが、わたしの産後生活は特殊だった。それを普遍化し、誰もが実践すべきだとは言えない。
ただ、周囲の理解が得られ、協力してくれる人がいて、何より本人がやってみたいと思えば、挑戦する価値はある。というか、本心ではお勧めしたい。
大切なのは、「何となく」で日々に流されず、「産後」という特殊な環境のなかで、自らのからだを味わい、慈しみ、感じることだと思う。
その2カ月を送ることで得られるのは、健康で美しい肢体だけではない。食習慣、生活習慣、姿勢、すべてが変わる。


ではひとまず、産後編、これにて終了。

悪露ってネーミング、何とかならないのか?

頭爆発
(悪露でオロオロ、頭バクハツ)

悪露。
産後、子宮や膣から出てくる血液の混じった分泌物のことをいう。
仏教用語では、膿、血、糞、尿など、からだから出る汚れた分泌液や排泄物を指すという。
悪露、産褥期といい、ひどいネーミングだと思う。
いつ、どうやってついたんだろう?
女性の月経血を穢れと忌み嫌っていた時代の名残か??

「産後」とはいつまでをいうのだろう、と考えると、実は、悪露が終わるまでの期間ではないか、という気がする。
通常、悪露は産後6週間くらいで止まる。
産後すぐは、生理の2~3日目よりも多いくらいの血液様の分泌液が出てくる。
一週間くらいで赤褐色、その後、茶褐色、黄色、うす黄色と変化していき、6週間~2カ月でほとんど色がなくなり、いつの間にか終わる。
つまり、悪露の終了が意味するところは、出産で大仕事をした子宮、膣が、産後の後始末を終えた、ということではないだろうか。

しかもこの悪露、生理と違って、長く、ダラダラと続く。
わたしの場合はちょうど6週間続いた。
入浴は悪露が終わるまで差し控えよ、との命が出ていたので、早く悪露が終わらないかと心待ちにしていた。が、結局終わらず、産後6週目、洗髪と一緒の日になってしまった。
悪露は文字通り排出現象だ。悪露が出ている間は、からだは陰性に傾いているということ。そんな時にからだを冷やしてはならない。入浴を控えるのは理にかなっている。
食事では、おかずの量を増やすと悪露が増えるから、玄米と漬物、味噌汁程度に控えよ、と言われた。陰性のおかずがよろしくないのはもちろん、おそらく、おかずを消化するためにエネルギーを費やすことで、からだの回復を遅らせるのではないだろうか(あくまでも推測)。
産後1カ月までは相当苦しみながらおかずを減らしたが、途中でストレスが強くなったので、徐々におかずは増やしてしまった。

また、からだを動かすと、悪露は増えた。
産後1カ月も過ぎると、たまを抱っこしたり、誰もいない時は食器を洗ったりしていた。散歩をすることもあった。
ようやく止まるかと思ったところで、血液様の分泌物を認めると、気が滅入った。
そんな日々を繰り返していたのだ。

女性にとって、2カ月生理が続いていると考えると、何とも不快だ。
しかも、生理と違って特殊な状況の膣にタンポンを使うことはできないので、常に、生理用ナプキンやライナーを当てておかなければならない。
わたしは常日ごろ、生理用ナプキンは紙おむつと同じようなもの、と思っており、ケミカルな繊維を股にあてるのは不快だという感覚がある(だからたまは布おむつなのだ)。
結局、産後とは、誰もがおむつをしているようなものなのだ(!)。


気がついたら、春になっていた。桜が咲いた。
1月22日に出産後、約2カ月。そのころには、完全に悪露が終わっていた。
それは、産後のハイテンション、不安、神経質なまでの完璧主義を経験し、そして、鷹揚さを取り戻すまでの期間と重なっていた。
4月になって、たまは保育園に入園した。
わたしは、自分の全エネルギーを育児と家事に費やす生活から、仕事の割合を徐々に増やしていき、少しずつ日常生活に戻っていった。
少しくらい動いても、頭を使っても、普通食を食べても、自分のからだが揺らいだり、たまの皮膚が反応することは少なくなっていった。
育児が「晴れ」から「褻」、つまり日常になって、安定の日々がやってきた。
産後とは、いつの間にか終わるもの。からだと、心と、時間の流れ方で、それを知ることができた。


産後、6週間洗髪・入浴せず。

090609女優
(あたち、たま。女優よ。毎日母ちゃんにエステしてもらってるの)

たまは小さく、体重が2500gになるまで沐浴できなかったので、産湯に浸かったのは産後16日経ってから。
しかし母はそれ以上の強者だった……。
わたしは産後、6週間、入浴しなかった。
もちろん、洗髪もしなかった。

これ、おむつ生活と同じくらいのインパクトがあるのではないだろうか。
これも、助産院の教えだ(笑)。
いったいどんな助産院なんだ、と、つっこみがきそう(笑)。

産後はホルモンバランスの変化等で髪の毛がごっそり抜ける。
マクロビオティック的にいうと、産後は陰性、つまり抜けるほうに傾くので、その時期に髪の毛をいじってしまうと、どんどん抜けてしまうそう。
もう一つ、産後はからだを冷やしてはいけない。洗髪で頭を冷やすと一生頭痛持ちになると、昔からの言い伝えにもあるそうだ。
妊娠中は髪の毛が抜けにくくなっており、その分、産後にまとめて抜けるという説もある。まさに髪の毛のリニューアルということか。
ともかく、抜け毛を防いでより豊かで美しい髪に生まれ変わるためには、6週間洗髪を我慢しなければならない、と言われていた。

また、悪露が終わるまでは入浴も避けた方がよいとのことだった。わたしは、産後3週間以降、ちょろちょろ家の中で動いてしまっていたので、なかなか悪露が終わらなかった。
6週間経っても完全には終わらなかったが、それでも相当落ち着いてきたので、洗髪と同時に入浴も済ませてしまった。

この6週間は、どうやって体を清潔に保とうかと悩ましかった。
せめて、と思い、毎晩蒸しタオルで頭と体を清拭したのだが、本当はそれすら避けるべきだったと気づいても後の祭り。
実は、髪の毛に関しては、ブラシで梳かすのもご法度だったらしい。
毛根を刺激することで脳の活性化につながり、頭を休めることを妨げてしまうというのだ。

実は、「いくらなんでも、入浴・洗髪の掟は守ってられないなあ」と思っていた。しかし、骨盤直しの効果を目の当たりにした夫と母が、「絶対にやったほうがいい!」と強く背中を教えてくれたのだ。
夫は、「今後の人生で6週間も風呂に入らないなんてことはまずないだろうから、どのくらい臭くなるかやってみたら」と、無責任にもおもしろがっていた。
実際、産後1カ月くらいまではまったく問題なかった。見た目にも、言わなければわからないくらい。髪が脂ぎることもなく、油っぽいにおいもなかった。「サラサラだった」といっても嘘ではない。
産後6週間までは動物性の食品はほぼ完璧に摂取せず、油ものも極力控えていたのも功を奏したと思う。
冬だったのも幸いだった。ただ、「寝室は保育器」状態で蒸し暑かったため、汗は多少かいた。娘の様子がちょっとおかしいと冷汗をかいていたし。
だから、蒸しタオルでの清拭くらいはしたかった。でないと、夜、気持ちよく眠れなかった。

産後6週目、最後の1週間くらいで、多少、不快を感じるようになった。
頭皮をさわると、フケのようなものがたまった。
髪を梳かすと、少しべたつくようになっていた。
そろそろ限界かな、と思ったころ、産後6週間が経ち、「禊の日」となったのだ。


産後初の入浴は、驚愕だった。
6週間分の垢って、すごいのね……。
「垢太郎」という昔話があるけれども、垢太郎が生まれてきそうだった。今垢すりをしたら、どれほど爽快だろうかと思った。
浴槽に浮かんだ垢は……。嗚呼(詳しくは省く)。
シャンプーは5年来パックスナチュロンを使っていたが、2度洗いなどではまったく非力で、でも何度も洗う気力もなく、6週間分の汚れは、約1週間かけてどうにか落とした、というか、落としきれたかどうか定かではなかった。

が、わたしは髪の毛が薄いことが悩みだったので、「ごっそり抜ける」体験をせずに済んだのは何よりだったと思う。
わたしがお風呂に入っている間にたまを見てくれた義父母が「よくがんばったね」と言ってくれたのが救いだった。

正直、その効能はよくわからないのだが、しかしわたしの産後は、とても元気に過ごしている。
産後2カ月で仕事に復帰し、充実しているのも、これらの鉄の掟を守りきったからではないか、という気がする。

ところが産後4カ月過ぎた今、髪が抜けている……。働きすぎ???

今日の夕方の、不思議な体験

首の訓練
(不思議の国の天使さま)


5月20日に取材を解禁して以来、いろいろな人と出会い、夢を語り合う機会に恵まれた。こんなに短期間で、会いたいと思っていた人と会い、語り、夢を共有できた。わたしは仕事を通して何を実現したいのか、改めて考えさせられた。

今日、家に戻ったのは夕方17時。フルで仕事をする日は、朝9時から夕方16時半近くまでたまと離れている。
淋しいが、その間の時間は、保育園の先生がたまにしっかりと愛情を注ぎ、守ってくれている。
だからわたしは安心して仕事ができ、人と会って話を聞くことができる。
ところが今日、朝や夜中明け方の授乳タイムは別としても、保育園にたまを迎えに行って後、入浴させてパイを飲ませて寝かしつけるまでの賞味3時間程度しかたまと一緒に過ごしていないのか……と気づき、愕然とした。
夕方の貴重な「ラブラブタイム」は、携帯電話も手帳もすべてほっぽり出して、たまとひたすらゴロゴロして、見つめ合う。母ちゃんを堪能してもらう。
今日も、そんないつもの夕方。

今日も、「たま、ごめんね」とは言わない。
「たま、ありがとうね」
そう言いながらたまを見つめると、にっこりと笑顔を向け、小さな手でわたしの顔をぎゅっとつかむ(ちょっと痛い)。
まるで、「いいんだよ、わかっているよ。たまはそんな母ちゃんのこと、大好きだよ」と言ってくれているかのように。
わたしはつい、感極まってしまい、「たま、大好きだよ。母ちゃんのところに来てくれてありがとうね」と、繰り返した。
たま、まるで天使のような表情でわたしのことをじーっと見つめ、そして、にーっこり。

この人、すごいなー。そう思った。
妊娠中、助産院での呼吸教室でのこと。呼吸をしながらお産のイメージを持つのだが、その時得られた感覚が、「わたしという存在は、赤ちゃんに許されているんだ」というものだった。
そして今日、わたしは、たまに許されている、という感覚を再び持つことができた。
「赤ちゃんは、すべてわかって、お母さんのお腹の中に入ってきているのよ」
助産院の院長の言葉が蘇った。

たまに許されている、という思いとともに、たまが我が家にやってきてくれたことに対する感謝で胸がいっぱいになった。
小さなやわらかい手でわたしにふれながら笑顔を浮かべるたまは、天使のような、仏様のような、清らかな存在だ。
そして、たまの顔を見ていたら、たまの顔のなかに、いろんな赤ちゃんの存在を見ることができた。
昨日、たまと手をつないではしゃいでいた、チィちゃん、マオマオ。
今日、保育園で手をつないで笑っていたせいちゃん、たっちゃん。
まひろ、さらちゃん、ことちゃん、さなちゃん、たっくん、りゅうくん、はなちゃん、ひろちゃん、よっちゃん……次々と、子どもたちの顔が浮かんではたまの中に融けていった。
そして、たまのことを愛おしく思っている自分の中に、美和子ちゃんやえみちゃん、智美さん、ともちゃん、ダイ母さん、睦美さん、めぐみん、恵子さん、真紀、舞子ちゃん、ひとみ、なおちゃんなどなど、母である人、母になろうとしている人が統合されている気がした。

ふと、いろんな「母」たちのことが頭に浮かんだ。
大好きなカメラマンでもある睦美さんの写真が、産後、きらきらして、暖かい空気をまとっていること。
母になった智美さんが人間まるっきり変わって母性全開になったこと。
ともちゃんが、「うちの子日に日にかわいくなってくる。保育園にいる子もみーんな同じくらいかわいい」と常日ごろ言っていること。
小さなことちゃんが、母である舞子ちゃんのことをいつも気づかい、全身全霊で理解し、応援していること。
そしてわたしの母がわたしと妹をとても愛し、大切に育ててくれたこと。
夫がいつも笑顔なのは、夫の母がいつも笑っているからということ。
母→子、子→母の、全身全霊の愛情の関係性が、わたしとたまの関係性のなかに重なってきた。

そしてわたしは、気がついたのだ。
わたしはたまの母であり、たまはわたしの娘である。
でも、わたしは、たまを通じてすべての子どもの母である。たまは、わたしの子であるのと同時に、みんなの子である。
子どもって、そういう存在だ。そして、わたしは母になったのと同時に、たまだけのためでなく、みんなのために生きるべき存在になったのだ。
たまのために、こういうことをよくしたい。それは、たまのためであり、みんなのためなんだ、ということ。
発信力。この仕事に出会えたことは、わたしにとって天職だった。やっぱり。

仕事をしていることで、たまと過ごす時間は、物理的には少ないかもしれない。
しかし、たまを保育園の先生たちに委ねている間、わたしは、たくさんのたまのために、自分の時間を使っている。
その自覚をはっきり得た。

「たま、本当にありがとうね。母ちゃんは、たまのこと、大好きだよ」
たまに向けた言葉は、たまだけでなく、みんなの子どもに向けた言葉となった。

その不思議な感覚を覚えた今日の夕方。たまと見つめ合いながら、わたしの涙とたまのよだれ、鼻水で、ベッドのシーツはぐしゃぐしゃになった。
自信と決意。自分の内側にみなぎった。



寝返る
(勝手に成長する人)

最近、とみに感じること。
子育てって何だろう、と思う。
少なくとも今、わたしは子育てをしているという実感がない。
一日数回、おっぱいを供給して、おむつを換えるくらいのことしかしていない。
たまは自分の力で呼吸し、運動し、笑い、泣き、栄養を得て、大きくなってきている。
わたしはたまの人生の伴走をしているにすぎない。
たまのことを観察し、おもしろがって、毎日感動しながら生活しているだけだ。

むしろ、たまに教えてもらうことのほうが圧倒的に多い。
人間にとって快とは何か、不快とは何か。
どうやったら笑顔でいられるのか。楽しくて幸せなのか。
他人を尊重するということはどういうことか。自立とは何か。人に委ねること、天に任せることとは。
小さなたまは、全身全霊でわたしにいろんな気づきを与えてくれる。
大人が頭で理解することよりも、ずっとシンプルに、簡単に、真実に近づけてくれる。

たまに教えてもらっていることは、実は、自分の子どもからだけ教わるものでもない。
それができる人がいる。草から教わる。虫から教わる。菌から教わる。
あらゆるいのちに対して、ニュートラルなスイッチを持っている。
彼らは「子育て」という枠にしばられていない。だから、世界に対してボーダーレスに発信することができる。広い。

しかし、凡なわたしは目の前の「たま」という存在から教わっている。たまとは、たまたま出会ったわけではなく、ごく偶然に、そして必然としてわたしのところにやってきてくれた。
そして、わたしが果たすべき使命を、歩むべき道を、必要な時に照らしてくれるのだ。
これは、天の采配だ。やっぱり、感謝だ。誰に? 天に、大いなる存在に。


今日の夕方の、不思議な不思議な体験。
(長くて、とりとめなくて、意味不明で、ごめんなさい)

お産と目の関係

おつきさまこんにちは
(寝ながら本を読むと目ェ悪くなっちゃうよ~、たまちん)

「産前産後は、目を使わないこと」
これは、助産院から、砂糖断ちと同じくらいに強く指導されていたことだ。
目を使わない。特に、パソコン、携帯電話、テレビなどは厳禁だ。新聞を読むことや、読書も極力控えよ、とのこと。産後に「命名事典」なんか読むのもNGと、厳しく言い渡されていた。

しかし、わたしは仕事柄、パソコンに向かうことが多い。
もちろん視力は悪い。
妊娠中は常に、純子先生から「頭がゆるんでいないから、骨盤が固い。これは難産になる」と脅され(笑)ており、しかし仕事を止めることができない性質から、せめてもの対応をと、骨盤回しの体操、目の温湿布だけはせっせと続けていた。
そのおかげで、出産直前には「骨盤が柔軟になっている」と太鼓判を押されるまでになった。
結局、出産の5時間前までパソコンで原稿を書いていて、しかし作業終了後は体操と温湿布をしていたため、超スピード安産と相成ったのだが。


さて、なぜ産前産後は目を使ってはいけないのか。
これは、昔からの言い伝えでもあるようだ。
ともかく産後3週間は、産婦は目を使わないように、暗い産屋で過ごさなければならなかった。
活字を読むことはもちろん、直接日の光を受けることも禁じられていたという。
要は、お産は体中の血液を総動員する一世一代の大仕事で、一方で、目を使うということも血液を使う仕事だということだ。つまり、血液を出産という大仕事に集中させて、目(=頭)を使う方に回させない、ということらしい。
確かに、出産では多少の出血はするし、産後は悪露という形で3~6週間程度はダラダラと出血が続く。目に血液を回すには、悪露を出し切ってからのほうが、回復が早いということなのだろうか。


というわけで、わたしは産後、ともかく携帯電話を使わないことに専心した。
出産のニュースを伝えたのは、両親と、ごく親しい友人2人と、仕事仲間3人のみに、電話で。
あとは、後から知ったとしても慮ってくれ、ということで、事後承諾で御免とさせてもらった。
携帯で出産報告をすると、細々とおめでとうメッセージが入るだろうことは想像に難くない。携帯が鳴る度にメッセージが気になって、携帯の小さな画面に綴られた文字を読むことになる。
また、誰に連絡をして、しなかったのか、などの気を使うのも億劫だった。

ただ、風の噂でわたしの出産を知った友人の何人かからメールが入ったりして、さすがに、多少は報告しないとまずかろうと、産後1週間経って15分だけ、携帯をいじった。
その後、すぐ目が痛くなり、頭痛に悩まされてしまった。気のせいか、骨盤回りまで痛む。
あ、こういうことね、と、すぐにわかった。で、携帯を触るのを再び止めた。
パソコンに初めてさわったのは、2月10日。出産から19日後、本来の予定日だ。
実は、出産5時間前まで書いていた連載の原稿を落としてしまっていたのだ。媒体が掲載を延ばしてくれていたのだが、さすがに2月20日までには掲載したい、とのことで、まとめなければならなかった。そして、2月10日から3日間、1日1~2時間を原稿執筆にあてた。その分、目の温湿布を徹底した。

それ以外は、テレビはもちろん、2月10日まで新聞も読まずに、完全に情報弱者として過ごした。
オバマ大統領の就任演説も聞かず、中川大臣の朦朧会見も知らず(ぜひテレビで観たかった!)、ただひたすら目の前のたまのことに集中するのみ。
カーテンは2重にして閉めきって、太陽の光を浴びることもなく。コンタクトレンズを嵌めることもなく、ひたすら暗く、蒸し暑い保育器のような部屋で、赤ん坊とゴロゴロ過ごしていた。

目を使わない=字を読まない、これを徹底しさえすれば、と思い、実は、大きな落とし穴にはまっていた。
デジタルはダメで、アナログでならいいでしょ、とばかりに、手帖に細かい字でたまの成長記録を書きつづっていたのだ。
何時に起きておっぱいを飲んで、吐乳して、うんちとおしっこをして、体温と体重はどのくらいで……、などと、ほぼ日手帳と、モレスキンノートに、記録をしまくっていた。
そう、暗い部屋で。
それが、ひどく目を疲弊させていた。
産後6週間くらい経ってから、目がパシパシパシとけいれんすることが増え、一気に視力が落ちたような気がして、驚いた。

結局、パソコンと携帯を使わないことを徹底しようが、暗いところで文字を書いていたら、相殺してしまう。
わたしの更年期はどうなってしまうのだろう。
記録魔はいいけれども、払った代償は大きかったかもしれない。

【eco本】地球温暖化サバイバルブック 気候変動を防ぐための77の方法

(この文章は【Waveよこはま】のブログに執筆したものです)

・ワインを貯蔵しておこう
・自然の中で迷子になろう
・ラクダを買おう

……これが、気候変動を防ぐ方法だって? 
あまりにも馬鹿げてる、と憤ることなかれ。
例えば、ラクダは飲まず食わずで何週間も生き延びることができるので手がかからない、寿命が長い、服にも出来て食料源になる、移動手段にもなるなど、ラクダを買うことと気候変動防止をつなぐ論拠がしっかり提示されています。
費用対効果まで示されているのだから、ここは「むう」と納得せざるを得ません(笑)。

地球温暖化 サバイバル ハンドブック 気候変動を防ぐための77の方法』は、そんな風に楽しく、おもしろおかしく、しかしながら真剣に、地球温暖化を防ぐためのノウハウを提供している本。
全編イラストで構成されており、それがまたユーモアにあふれている!
上記のようなふざけた内容もあるが、アイデア次第でどんなことでも地球温暖化防止につながる、そしてこの「変化の時代」に立ち向かうにはペシミスティックに行くよりも、奇抜に斬新に、楽しんだほうがおトク、と思わせるだけの内容があります。

もちろん、
・環境にやさしいオフィスにしよう
・都市中心部の交通渋滞を緩和しよう
・地球にやさしい日用品をそろえよう
などのベーシックな対策方法もあるのでご安心を。







プロフィール

キタハラマドカ(おでこが広いからtecoちゃんがニックネームでした)

Author:キタハラマドカ(おでこが広いからtecoちゃんがニックネームでした)
団地暮らしと酵母生活の達人目指す、フリーのライター・編集者。仕事は、生きることそのもの。水環境ジャーナリストを師匠に、鬼校閲者を友に、チーム仕事も繁盛中でございます。
ウエダ家とともにCOBOの普及活動に勤しむ、日本初のCOBOライターでもあります。
得意分野は、食環境、住環境、地球環境。地球温暖化や食の安全・安心、エコハウス関連の仕事が多い今日このごろ。仕事の内容についてはカテゴリ【work】をご参照ください。
夫と愉快な仲間たちがやっているNPO法人【Waveよこはま】のブログにてエココラムを執筆中。
このブログはのんびり気ままに更新中。

要CHECK!!
tecology**
わたしのお母さんが嫁入りの際に贈って手描きのレシピを紹介しています。
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わたしが携わった本、仕事でよく読む本などを紹介しています。
Waveよこはま
横浜からリユースの波を! を合言葉に、リユース食器の普及活動をしているNPOに参加しています。Waveよこはまブログで、エココラムを執筆しています。
COBO net
野生の菌とともにある暮らしを見つめ、「発酵」を身近にすることでいのちの循環を感じる「酵母生活」を提案するウエダ家。本の執筆や編集をともに行うなかで、日本の食卓をクリエイティブにする楽しさ、可能性に夢中で活動しています。
山形国際ドキュメンタリー映画祭
良質のドキュメンタリー映画が2年に一度、山形に集まる!! 世界を見開かせてくれる扉です。
山形の過去・現在・未来
わたしのお父さんが何よりも愛する山形。歴史的建造物や残したい風景の過去・現在・未来を紹介しています。
酵母スイーツ
新しいごはん

うちのマンション大丈夫?
酵母ごはん

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お知らせ
新ブログ「たまごはん」スタート! たまばあちゃんのイラスト入りレシピをたま母ちゃんが料理し、たまが食べる。母娘孫と3代に渡る食を紹介します。

☆キタハラ、2009年1月に出産いたしました☆ニンプ日記は未完のまま産後生活に突入。ぼちぼち、育児日記出産ドキュメント布おむつ生活産後の体のこと姿勢のことなどを書きつづっています。
相変わらず時系列はぐちゃぐちゃ。しかし、テーマごとに思考を詰め、まとめる作業は苦しくも、おもしろくあります。気長に見守っていてください。
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