わたしのファッション(6)
昨年の第一四半期、ファッションに一つの解を見つけ、フェアトレードという選択肢を見つけた。
ようやく手つかずだった「衣類」の分野に風穴をあけることができた。
視界がクリアになった!
自己矛盾が少しずつなくなってきた。
あー、気持ちいい。
あまりに当たり前のことなのだが、食のオーガニックと衣類のオーガニックは、ほとんど同じことだ。
途上国への搾取の構造。
安い労働力。
劣悪な作業環境。
農薬、化学肥料の問題。
持続可能な生産、流通の仕組みを、生産者、消費者がともに「フェア」な形でつくっていくことが、今、当たり前に求められている。
それは、食だからできる、衣類だからできる、ということでなく、あらゆるプロダクトに当てはまることだと思う。
サプライチェーンの大きなサイクルの中に、わたしたちの消費生活も含まれている。
そこの選択一つが変わることで、ものの循環、お金の循環は変わってくると思う。
ただ、やはり、ここには「エコ業界」という、せまい世界が存在する。
まだまだボーダーレスにはなっていない。
「エコという制服」は、当面はなくならないと思う。
一方で、大企業の環境努力に学ぶところも大きい。
大きな業界と小さな業界の間に隔たりを持つのでなく、うまく選択しながら、尊重しあいながら、生活の中で共存させていく知恵。
ある意味、「てーげー主義」(ちょっといいかげんな、ゆるさ、転じておおらかに物事を受け止める)も必要なのかな、と思う。
だから、我が家では、時々はジャンクなものも食べるし、相変わらず某マイブランドは愛用するだろう。
でも、giの服、フェアトレードの服、オーガニックコットンの衣類を着ている時の心地よさ、うれしさは、無二のものだ。
どうせなら、日々、気持ちよくうれしいのがいちばんだ。
それがわたしの色になっていけばいい。
(わたしのファッション(1) ~(6)は、2010年3月に書いたコラムの時制のみを編集して掲載しました)
ようやく手つかずだった「衣類」の分野に風穴をあけることができた。
視界がクリアになった!
自己矛盾が少しずつなくなってきた。
あー、気持ちいい。
あまりに当たり前のことなのだが、食のオーガニックと衣類のオーガニックは、ほとんど同じことだ。
途上国への搾取の構造。
安い労働力。
劣悪な作業環境。
農薬、化学肥料の問題。
持続可能な生産、流通の仕組みを、生産者、消費者がともに「フェア」な形でつくっていくことが、今、当たり前に求められている。
それは、食だからできる、衣類だからできる、ということでなく、あらゆるプロダクトに当てはまることだと思う。
サプライチェーンの大きなサイクルの中に、わたしたちの消費生活も含まれている。
そこの選択一つが変わることで、ものの循環、お金の循環は変わってくると思う。
ただ、やはり、ここには「エコ業界」という、せまい世界が存在する。
まだまだボーダーレスにはなっていない。
「エコという制服」は、当面はなくならないと思う。
一方で、大企業の環境努力に学ぶところも大きい。
大きな業界と小さな業界の間に隔たりを持つのでなく、うまく選択しながら、尊重しあいながら、生活の中で共存させていく知恵。
ある意味、「てーげー主義」(ちょっといいかげんな、ゆるさ、転じておおらかに物事を受け止める)も必要なのかな、と思う。
だから、我が家では、時々はジャンクなものも食べるし、相変わらず某マイブランドは愛用するだろう。
でも、giの服、フェアトレードの服、オーガニックコットンの衣類を着ている時の心地よさ、うれしさは、無二のものだ。
どうせなら、日々、気持ちよくうれしいのがいちばんだ。
それがわたしの色になっていけばいい。
(わたしのファッション(1) ~(6)は、2010年3月に書いたコラムの時制のみを編集して掲載しました)

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